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世田谷記念病院 広報アワード受賞記念! 「広報ちゃん」と事務長に聞く、世田谷記念病院の広報活動について!

こんにちは、平成医療福祉グループ広報部です。

「病院をもっと身近に感じてほしい」「病院のことをもっと知ってほしい」。病院に務めるスタッフであれば、地域の方や、求職者、病院に関わる多くの方に対して、一度はこんな想いを抱いたことがあるのではないでしょうか。

私たちのグループでは、複数の病院に広報スタッフが在籍し、発信に関わっています。

そんな広報スタッフが在籍するグループ病院の一つ、世田谷記念病院がこの度、CBnewsが主催する「病院広報アワード2024」において、Webサイト部門の最優秀賞、およびアワード全体において第2位となる快挙を見せました!

そこで、受賞を記念して、世田谷記念病院の広報スタッフおよび事務長に取材を実施。
今回の受賞の感想や、病院の広報活動に取り組む想いや裏側について聞きました。



素晴らしい事例を表彰する病院広報アワード

「病院広報アワード」は、CBnewsが主催する、素晴らしい病院広報事例を表彰する年に1度の式典です。
CBnewsのサイトには、「病院広報の役割 = 地域医療を守ること」との一文があります。また、地域医療体制を今後守るためには、自院と患者・周辺施設・地域をつなぐ「病院広報」がカギとなり、このアワードでは、その重要性を伝え、さらなる活性化と、地域医療のあるべき形の実現に寄り添うことを目的としていることが記載されています。

高齢化社会と人口減少を迎えるなか、地域に必要な医療やケアを提供するピースとなるためには、病院の取り組みを適切に伝えることが求められています。
その対象やチャネルの選択もさまざまにあるなか、どのように取捨選択をしながら発信を行っていくか。広報活動の重要性は以前と比べても増しています。


受賞がきっかけで得られた気づき

今回取材に答えてくれたのは、世田谷記念病院の「広報ちゃん」こと広報スタッフの渡邉さんと、手老事務長です。
初のエントリーにして受賞を果たした世田谷記念病院において、二人三脚で広報活動に取り組む2人。

エントリーしたWebサイト部門では、世田谷記念病院サイトにて展開される漫画(コラム)「がんばれ!広報ちゃん」およびその制作を担う広報ちゃん=渡邉さんのストーリーを全面にして、プレゼンを行いました。

「がんばれ!広報ちゃん」は、異業種から転職してきた広報ちゃんの目を通して、世田谷記念病院の取り組みや、院内で働くスタッフについて、漫画で紹介する連載企画です。

病院広報アワードのプレゼンに登場した「広報ちゃん」

今回の受賞を通じて、漫画がさらに多くの人に読んでもらえる機会になった、と話す渡邉さん。受賞によって感じた手応えがあったそうです。

写真左:手老 航一(てろう こういち)
世田谷記念病院 事務長。大学卒業後、製薬会社や医療系のコンサルティング会社などを経て、2020年に事務長として世田谷記念病院へ。当時の想いが綴られた過去のインタビューはこちら

写真右:渡邉 由貴恵(わたなべ ゆきえ)
世田谷記念病院 広報スタッフ。2022年入職。大学で建築学を学び、建築事務所の設計士として働いた後、広報スタッフとしてプレス対応などに携わる。登山と漫画(描く方)が趣味。今回のインタビューには広報ちゃんのイラストで登場。

-受賞おめでとうございます! まずは率直な感想を教えてください!

渡邉:今までは病院サイトで細々と連載している感覚だったものが、全国の大きな土俵に乗っても「戦える武器だったんだ」ということがわかりました。実際に、アワードを主催された運営の方からも「応援しています」と言っていただいたり、授賞式の様子を早速漫画にしてアップしたんですが、受賞された病院の方からも反応をいただいたりして。漫画は平和の手段です! 広報活動を通じてつながりが広がった実感があります。

手老:受賞については、本当に「広報ちゃん」の力のおかげです。サイトにエッジを立てられたのはこのコンテンツがあったからこそ。自分のことを監督、というのもおこがましいですけど、もし監督だとすると、いい選手がいないとチームは勝てない。サイトにおいて表現したいことを、漫画を通して思い描いていた以上の形で提供できたからこその結果だったと思います。

-アワードにエントリーしてみて何か気づきはありましたか。

手老:エントリーに向けてプレゼン資料をまとめる過程で自分たちの広報活動を改めて振り返ったことで、自分たちが今、何ができて何ができないのか、現時点での自分たちの立ち位置を知る機会になりましたし、何が世の中に受け入れられるか、何がエンドユーザーに求められているか、についても知ることができた、本当にいい機会でした。


事務長が感じていた大きな課題

世田谷記念病院は、回復期リハビリテーション病棟を中心とした、リハビリテーションに力をいれる病院として、多職種連携で患者さんの在宅復帰と、その後のサポートまでを数多く行っていますが、その強みと魅力は、連携先の急性期病院や、求職者として応募してくれた方々に「これまではなかなか伝わらなかった」と手老さんは話します。今回のアワードのプレゼンでも、その点について強く訴えていました。

-渡邉さんが入職する以前、広報活動に注力する前はどのような苦労がありましたか。

手老:もともと、僕がこの病院に来た理由としてはこの病院の機能の重要性や、その持っている価値を多くの人に伝えていくとか、いかにしてそこに人が集まってくるか、ということをやりたかったんですよね。そのために今までは、僕が愚直にスライドに起こして、とにかく各方面でひたすらたくさん話すしかなくて(笑)。採用の場面でも集患の場面でも、相手にうまく伝わっていないな、という虚無感みたいなものがありましたし、自分のリソースでどうにかすることに限界を感じていました。

-実際に変化はどのように感じましたか。

手老:「広報ちゃん」のコラムを読んで採用面接に来てくれる人には、僕が一から説明する必要がなくなったし、むしろそれよりも内容を面白く思って、深く理解して来てくれている。「なんで自分がここで働きたいか」を、自分の過去の経験やストーリーから未来につなげてくれるんですね。

-着実に、病院への理解につながっているんですね。

手老:それと、僕がこの病院に入ってから、どちらかというと集患や地域連携の場面で苦戦することも多かったんですけど、その頃と大きく変わったのは、こうしたコンテンツを定期的に発信することができるようになったことで、その点でもいい影響が出てきています。実際に近隣の急性期病院でも、この更新を楽しみにしてくれているソーシャルワーカーの方もいて。そういう病院や地域の方が増えることで、世田谷記念病院の立ち位置も変わってくると思います。


建築という異業種から入職した「広報ちゃん」

世田谷記念病院の広報活動を推し進めた「広報ちゃん」こと渡邉さん。異業種で働いていた広報ちゃんは、そもそもどんなきっかけで世田谷記念病院へと辿り着いたのでしょうか。

渡邉:私は大学で建築学を学んで、卒業後は設計事務所で設計スタッフとして働いていました。そこで広報という職種と出会ったのが始まりです。そのうち事務所の広報タスクを手伝うようになって、段々と、自分が作ったものを広めるというより、仲間が作ったものを広げる方が面白いな、と思うようになったんです。その後に新たな建築事務所で本格的に広報スタッフとして仕事をし始めて数年勤めたんですが、実は自分自身が大きな病気にかかったことが転職のきっかけで。

-病気になったことが心境の変化につながったのですか。

渡邉:入院した病院で、本当に何から何まで看護師さんがケアしてくれたことに感動したんです。そこから「自分が持っているスキルで、何か看護師さんに恩返しをしたい!」と思って、一念発起、病院広報の仕事で求人を探し始めました。

-病院での日々が渡邉さんを医療に向かわせたんですね。世田谷記念病院に入ってみて、どんな印象を持ちましたか。

渡邉:面接で説明は受けてはいましたが、そもそもここがリハビリに強くて、入院をメインにした病院、ということをしっかりは理解できてなかったので、もっと医療ドラマみたいな様子を想像していたんですね。だから最初は、院内の様子を見た時に、ちょっと思っていたのとは違っていたかな…(笑)。今となってはその違和感はだいぶなくなったのですが。

-入院がメインですし、パッと見でわかりやすくドラマチック、というわけではないかもしれないですよね。

渡邉:姉が急性期の病院で看護師をしていて、そこでは地域の方や患者さん向けに医学講座とか院内コンサートをやっているというのも聞いていたので、そういういわゆる「B to C」で、一般の方にガンガン広報活動をやるのかなって思ってました。あとドラマの影響で、もっと人間関係がピリピリしてるのかと思ったら、みんな仲良かったです(笑)。

-作品ではそういうイメージも強いですもんね(笑)。


漫画「がんばれ!広報ちゃん」はいかにスタートしたか

入職後は広報スタッフとして、ホームページでの情報発信、病院内での掲示物や、広報ツール作成などに携わっていた渡邉さん。2023年11月から「がんばれ!広報ちゃん」として漫画がスタートするきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。

「がんばれ!広報ちゃん」の初回一コマ

手老:渡邉さんが入る直前に、世田谷記念病院のサイトリニューアルがちょうど完了して、新たにいろいろ発信していこうとしていたんですね。いろいろと企画を検討するうちに、彼女から「漫画を描けるんです」という話があったんです。

渡邉:「強みを生かしてどんなことができるかな?」という話があった時、得意なイラストを生かした漫画を提案したんです。もともと病気をきっかけに、noteで闘病記を漫画にしたことがあって。実はそちらも縁あってWebで連載のお声が出版社からかかって、書籍化もされました。(※)

※この時の体験は『アラサー会社員の乳がんの備忘録』(KADOKAWA)としてコミックエッセイ化。

-漫画を発表した経験があったんですね! 病院ではどういうことを意識して企画化しようと思ったんですか。

渡邉:もともと、求職者や連携する医療機関や関係者向けというテーマがあったので、「この病院がどういう病院か」を、あらためて私と一緒に勉強しながら伝えていこう、って考えて提案しました。

-ただ、実際読んでみると、ある程度知識のある人向けとはいえ、医療知識がない人にもわかりやすいものになっていますよね。

渡邉:自分が取材した備忘録として、院内で話を聞きに行って、勉強したら漫画に描く、みたいにしてアウトプットすることで、結果的には私みたいに医療職じゃない人にも向けたものになってましたね。

-手老さんは実際にできたものを見てどう思われましたか。

手老:あがってきた制作物は、自分の期待値を上回るものでした。僕は初志貫徹で「この病院の取り組みはすごいことだぞ」と多くの人に伝えてきたんですが、それが渡邉さんの「漫画を通して伝えたい」という想いとうまく混ざって、手応えを感じられたのかもしれないです。

-周囲の反応はいかがでしたか。

渡邉:最初のうちはまだあまり知られてなかったんですが、回数を重ねていくうちに、「今回の広報ちゃん見たよ」って言ってくれるスタッフさんとか、「私載ってたね!」「〇〇さん載ってたね!」とか、喜んでくれる人も増えてきました。

-先ほど地域連携の方からの反応のお話もありましたけど、コンテンツを更新してから先の届け方、は何か意識されていますか?

渡邉:病院のLINEアカウントでの発信と、あとは「せためも通信」という、近隣の医療機関向けにニュースレターを2カ月に一回ほどお送りしていて、そこでもお知らせしています。

近隣の医療機関に、病院からのお知らせや取り組みを知ってもらう「せためも通信」


インプットの過程も含めてのコミュニケーション


-毎回のテーマはどうやって決めてるんですか?

渡邉:ひとまずは病院のことから病院の機能や、人の役割を順に追って書き進めています。一旦、最初のシリーズは今書いている「医師(医局)編」で一区切りつけよう、と手老さんと話していたところです。

-漫画の制作では毎回大変なことも多そうですね。

渡邉:似顔絵を描いてストーリーも作るのはすごく大変ですね。でも、そこを乗り越えると、私とそのスタッフさんとの関係性もできてくるんです。だから似顔絵を描くために話しに行ったり、その時もお茶を飲む瞬間にマスクを外す姿をよく見てみたり。

手老:例えばコンサルなんかだと、ある程度打算的に院内の人たちと仲良くなって関係性を築く、っていうことを緻密にやっていくんですけど、そうじゃなく渡邉さんの純粋な思いとして「漫画を描くために話を聞かせてほしい」というトライを積み重ねた結果、病院職員との関係性が深まって、それがうまく漫画に表現されているから、より外部の方にとっては読みやすいんだと思います。インプットをしっかりやらないまま、内容をよく理解しないままに制作側の都合や視点で一方的に作られたりするものも、世の中には多いなと思いますし。

-インプットの話で言うと、他業種から入ってきた渡邉さんとしては、当然医療についても知識はゼロからスタートですよね。

渡邉:何もわからないところからのスタートなんで、めちゃくちゃ苦労してます。一旦原稿の叩き台を作る、っていうところまでもいかないくらいの知識なので、すぐそのテーマに関わるスタッフさんに話を聞きに行ってます。その人に何か書いてもらう時もありますし、一緒に考える時もあるんですけど、いつもそういったスタッフさんや手老さんと相談しています。自分だけじゃ何もできないので、本当に周りに助けてもらってます。

手老:渡邉さんはわからないことはちゃんと「わからない」と言って、教えてもらいながら、調べながら学んで形にして、それもストーリーにするんですね。だから、より伝わりやすくなるんじゃないかと思いますし、その精度も上がっていってると思っています。


広報ちゃん、世田谷記念病院のこれから


-入職からも時が経って、さらに広報アワードのような機会も経て、当初と意識も変わりましたか。

渡邉:あらためて、対外的に発信するだけが広報じゃないんだなっていうことに気がつきました。やっぱり院内の関係性がちゃんとあってこそ広報活動ができるんだなって。一歩一歩、階段を登りながら広報活動をやる中で漫画という武器を手に入れて、そこで新しい扉が開きました。

-今後はどんなことをやっていきたいですか。

渡邉:今回のアワードがきっかけで、もっと対外的にも発信していけるなとわかったので、今後さらに発信できる企画ができたらなと思っています。あとは、もっと地域とのつながりを密にしていきたいです。今取材を受けているこの「2Co HOUSE(※)」でも外向けのイベントをやってみたいです。ああ、私イベントがやりたいって、今ちゃんと気がつきました。地域の方向けにパソコン教室をやりたいです(笑)。

※2Co HOUSE(ニコハウス):世田谷記念病院前に立つ、スタッフ福利厚生施設。スタッフの業務や休憩のためだけでなく、今後はイベント活用なども検討されている。

2024年6月に竣工した2Co HOUSE
2Co HOUSEの竣工イベントでは、場内の装飾やTシャツなども渡邉さんがデザインした

手老:えっ(笑)!

-意外ですね(笑)。何か思うところがあるんですか。

渡邉:最近、たまたまそういう機会があったんですよ。外部の方から「パワポを教えてほしい」って(笑)。どんなことでも、この場所に集まるためのきっかけとして、やれたらいいですよね。今日も世田谷区の「地域ケア会議」という場に出席させてもらったんですけど、そこで高齢の方のお困りごとを聞いていて。家にこもりがちな高齢者の方が、1人だけではできないことに対して、この場所を使うことで、点と点をつなぐきっかけ作りができたらいいなとは思います。

手老:セラピストとかソーシャルワーカーなら別として、なかなかここまでのことを言語化して話せるってできないことなんですよ。スラムダンクの桜木花道を見ているような、「4カ月前はバスケの素人だったのに!」みたいな気持ちです(笑)。

-入職時からの成長を感じられていると(笑)。手老さんにも今後の展望を伺います。

手老:先日、岐阜県にある「カムカムスワロー」(※1)という、医療法人が運営する地域密着型のコミュニティスペースを見学させてもらったんですけど(※2)、地域の文脈で良いイベントをいろいろと開催されていて、さらに地域の方に貸し出してまたそこからの広がりもできていたんです。この病院でもやっぱり、2Co HOUSEや各コンテンツを上手く使いながら、「世田谷記念病院と地域」という文脈で、院内と地域をつないでいきたいですし、この場所をうまく使ってほしいとも思っています。その結果で徐々に「世田谷記念病院みたいなことをやりたいんだよね」っていう人が増えたらいいですね。

※1 医療法人社団発豊会 近石病院が運営する、地域密着型のコミュニティスペース。医療の相談窓口「認定栄養ケア・ステーションちかいし」を中核に、カフェ・シェアキッチン・イベントホールとしても利用できる。

※2 この時の様子は、せたがやコラム「“カムカムスワロー”ってなぁに?」で読むことができます。

取材を終えて

病院広報アワードのエントリーを見てもわかる通り、「病院広報」と一口に言っても、その形や方法はさまざまです。そのなかで、世田谷記念病院では、スタッフの個性を生かしながら、病院内を巻き込んで、その魅力を真摯に伝えていこうとする様子が、インタビューを通して伝わってきました。さらに、地域との関わりまで含めて、広い意味での「広報活動」にも着手していく今後の姿勢にも期待したい、と思える取材でした!