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【対談インタビュー】おうち診療所 二俣川院長 ✕ 訪問事業部 部長      患者さんの「自分らしく生きる」を支えるための在宅医療にかける想い(前編)

平成医療福祉グループでは、誰もが自分らしく生きられる社会の実現を目指し、グループのミッションとして「じぶんを生きる を みんなのものに」を掲げています。

今回、グループミッションに基づき、地域の患者さんの「自分らしく生きる」を支援する訪問診療を行う、「おうち診療所 二俣川」(神奈川県横浜市旭区)の木田 和利院長のインタビューをお届けします。
インタビュアーは 天辰 優太訪問事業部 部長です。おうち診療所 二俣川の立ち上げに関わり、院長採用面接から木田院長を知る天辰部長が、木田院長の人となりや訪問診療にかける想いを掘り下げ、おうち診療所の今と未来の展望などについて語り合いました!


〈おうち診療所 二俣川〉
2024年4月1日に開院しました!



患者さんがより良く生きるための訪問診療の実現に、熱い想いを持って取り組んでいる二人です!

写真左:インタビュイー
木田 和利(きだ・かずとし)/おうち診療所 二俣川院長 
専門分野:外科、緩和ケア
急性期病院での勤務を経て、さまざまな地域で訪問診療に携わってきました。
仲間との「飲み会」が好きで、趣味は読書です。

写真右:インタビュアー
天辰 優太(あまたつ・ゆうた)/訪問事業部 部長、経営企画医師
天辰部長についてのくわしい紹介は、こちらをご覧ください!


木田院長が学生時代から大事にしてきたのは「人とのつながり」

インタビューは「おうち診療所 二俣川」内で行いました。

天辰:木田さんの医師としてのルーツから伺っていこうと思います。学生時代まで遡り、そこからどのような経緯で、医師を目指そうと思われたのか教えてください。

木田:私の父親は開業医で、私は生まれた時から、家族のなかで「医者になるのが当然」という雰囲気のなかで育ってきました。子どもの頃から、そのために塾に通わされていましたが、勉強は苦手だったんです。
中高時代はバレーボール部に入って週5日部活に通い、その合間にバスケットボールにも打ち込んで、青春時代はがっつりスポーツして過ごしていました。

天辰:そこから医学部受験に進まれましたが、その理由は何でしたか。

木田:やはり親の無言の圧力を感じていましたね。それから、私が高校3年生の頃は、バブルが弾けた影響で失業率が高かったんです。だから手に職は必要だなと思いました。本が好きで、大学は国文科とかに進みたかったんですけど、仕事に結びつくイメージが持てませんでした。
それならば「医師免許を取ろう」と思い立ち、勉強を始めたのが高校3年生のゴールデンウィークでした。もう絶望的に問題が解けないという状態からスタートしましたね(笑)。

天辰:それでもがんばって医学部に入られたということで。

木田:はい。大学ではほぼ全教科で再試を受けていましたが、一応ストレートで卒業できました。だから後輩には「再試の神」と呼ばれました。陸上部に入っていましたが、後輩がぞくぞくと、再試のことで私に相談に来ていましたよ。

天辰:医大は、結構留年する人も多いですが、しっかりとクリアして、勝負強さを表していますね。

木田:教授と飲みに行ったり、偶然だけれども教授と同じジムに通ったりして、勉強以外でがんばりました(笑)。

天辰:総合的なスキルをお持ちですよね(笑)。木田さんは、私のなかでは飲み会によく出席されていて、前職の方たちとのつながりも強いイメージがあります。大学時代からすでにそうした才能を発揮していたということですね。

木田:昔から、自分の力だけでは何もできない人間なんです。だから、自分を目にかけてくれる目上の方や、自分を頼ってくれる後輩たちのことを、すごく大事に思っています。そういう人たちがいないと私は何もできません。自分の時間とお金は、人とのつながりのために使っていますね。


「チームワーク」が必要となる外科での経験が
在宅医療で生かされることに

天辰:キャリアとして最初に外科を選んでいますが、その決め手は何だったのでしょうか。

木田:父が外科医で、私が子どもの頃は家にほとんどいなかったため、最初は「外科医にはならない」と思っていました。
その考えが変わったのは、研修での経験を経てからです。私の研修先は旧社会保険庁の病院〈現 独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO) 〉で、200床くらいある急性期病院でした。そこでいろんな科を経験しましたが、外科が一番、テキパキと時間を無駄にせず仕事している感じを受けて、好印象だったんです。
また、「チームワークありきでの医療」が実践されていたので、自分は一人では何もできないタイプだから、「みんなでやっていく」という体制にも引かれて、外科を選びました。

天辰:私からすると、チームプレーがすごく大事であるとはいえ、外科の医師って手術における自身の技術や責任がすごく大きいと思われます。そこに対する怖さや不安はありませんでしたか?

木田:当時は、与えられた仕事をちゃんとやっていくことに必死だったので、そこを考える余裕もなかったですね。
それに私が若い頃は、時代的に医療現場で今のように丁寧な指導がなく、「先輩の背中を見て覚える」みたいな風潮がありました。そのなかで失敗するとめちゃくちゃに怒られる状況でしたね(笑)
だからもう、ひたすら目の前のことに精一杯という……。

天辰:そういう時代でしたよね。何か教材があって教えてもらえるということはなかった。

木田:現場では、率先して周りの医師や看護師にアドバイスをお願いしたり、先回りしてカルテや記録を見つけ出したりして、動く必要に迫られました。
こうした経験が今、訪問診療において周りの状況を読み取ったり、意見を取り込んで動いたり、それらを基に診察や薬の方針を決めたりすることに生かされていると思います。
指導を受けなかったことがいいかどうかは別として(笑)。

天辰:私はこれまで木田さんを見てきて、すごく面倒見がいい方だなと思っていたので、厳しい上下関係を経験したことが、良い方向に生かされていると感じます。


イチから学び始めた訪問診療のフィールドで
多職種連携の重要性を実感

天辰:外科医として9年勤務した後、訪問診療の分野へ進まれました。そのきっかけを教えてください。

木田:当時、父親のクリニックをいずれは継がないといけない、と思っていましたが、独立開業するにも、外来や胃カメラなどだけでは厳しい時代でした。そこで、「何かプラスアルファになる医療サービスを準備しないといけない」と考えるようになりました。
その頃、勤務していた病院では、オペや化学療法を終えた患者さんを、そのエリアの在宅医におまかせしていたんです。それを見て、「自分も訪問診療を行えば、外来以外のアピールポイントが増えるんじゃないか」と思いました。これがきっかけですね。

天辰:病院勤務から訪問診療医への転向となると、大きく異なる分野へ行くことになったと思いますが、最初は戸惑いなどはありませんでしたか。

木田:もう本当に右も左もわからない、という状態からスタートしましたよ。それまで医療保険内のサービスしか知らなかったので、居宅サービスのことがわからなくて、今までの経験が通じない状況のなかで葛藤していました。
正直に言うと、ケアマネジャーが実際にどんなサービスを行っているかも知らなかったので、本当にゼロベースから勉強していくしかありませんでしたね。
それから、当時入職した訪問診療のグループは、患者数を伸ばすことに苦戦していたので、在宅医の最初の仕事として営業も任されました。病院の地域医療連携室などへ足を使って、頭を下げて患者さんを紹介していただくという……。

天辰:医師だけど、営業もすることになったんですね!

木田:結果として、この営業経験も訪問診療医としての自分のベースになりました。患者さん一人を紹介してもらうのがどれだけ大変なことなのかを痛感したし、これは今でも心に留めています。
また、患者さんに選んでもらえるようになるために、多職種で情報を共有し合いながら連携して動くことが大切だと実感しました。
病院の体制だと医師がいて、その側に看護師がいる、というようなピラミッド構造になりがちですが、訪問診療は多職種が平等に協力しないと成り立ちません。最初はこれを勉強させてもらったし、訪問診療における一番コアな経験が積めました。

天辰:私たちのグループは、多職種連携や職員間のフラットな関係性などを大事に考えていますが、これを実践するのは、頭では理解していても、なかなか難しいことだと思っています。木田さんは訪問診療医になった当初、自然に実践できましたか?

木田:職員間のコミュニケーション自体はそれほど苦労しませんでした。
ただ、スタッフと密接に働くことが増えた分、注意する場面も多くなったので、「強く言い過ぎたかな」と思い返して、伝え方には悩んできましたね。今もそこは気を遣っています。


この記事は後編へ続きます。
後編では引き続き、木田院長が訪問診療にかける想いと、おうち診療所 二俣川が今後目標としていることなどについて語ります!